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わたしが示す土地へ(使徒7:1-16) 20260510

  • 5月10日
  • 読了時間: 9分

更新日:3 日前

(聖書)

創世記15章5節-21節(旧約19頁)

使徒言行録7章1-16節(新約223頁)


👇2026年5月10日の杵築教会週報は以下をクリックしてご覧ください 


本稿は、日本基督教団杵築教会における2026年5月10日復活節第6主日礼拝の説教要旨です。

杵築教会伝道師 金森一雄

 

1. アブラハムの召命と出発

 

使徒言行録7章1節から、最高法院での大祭司による尋問へのステファノの抗弁が書かれています。

聖書の小見出しには、「ステファノの説教」と書かれてあり、7章53節までずっと続きます。使徒言行録の中には、ペトロやパウロが多くの説教を語っていますが、このステファノの説教は異例の長さです。

その理由は、アブラハムから始めてモーセ、さらに神殿が始まるに至ったイスラエルの歴史をステファノが再解釈をしてしっかり語っていることにあります。このステファノの説教を読めば、旧約聖書に書かれていることがだいたい分かるといってもよいほどです。

 

ステファノは2-3節で、「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。」と、ユダ人に向けて語っています。ここで、「あたたの土地」と「わたしが示す土地」と、土地という言葉が2度も出てきています。そして、「メソポタミア」、「ハラン」そして「わたしが示す土地」と三箇所が語られています。それらの土地がどこに位置しているのかについて、聖書の後ろの付録「聖書地図第1図」を用いて、その位置をご一緒に確認してみましょう。

 

第1図に、「1聖書の古代世界」と書かれています。そのすぐ右上にペルシャ湾があります。ペルシャ湾を出た右側、東の方向はこの地図では欠けていますが、イラン戦争の真っ只中で石油危機の話題になっているホルムズ海峡があるところです。

ペルシャ湾の河口から西北の方角に、チグリス川とユーフラテス川が合流している地域があります。そこがバビロンです。そして「ウル」●と記されている所が、アブラハムの出身地で、「メソポタミア」という地域です。

アブラハムは、ウルで神様の召命をいただいています。召命を受けてウルから「ハラン」へ移動します。

ウルから西北の方面、ユーフラテス川の上流に「ハラン」●が位置しています。現在のシリア国境に近い地域です。1000km以上ある距離です。

ウルからカナンの地に向かうためには、逆さV字を描いて南西のエジプト方面に向かわなければなりません。その距離もおおよそ1000kmもあります。そして、「わたしが示す土地」と言われいる地中海沿岸の「カナン」、現在のパレスチナ、イスラエルがあります。

 

次に旧約聖書には、その3つの町がどのように書かれているかを確認してみましょう。創世記11章31-32節(旧15頁)に、アブラムの父テラが登場しています。

アブラハムは、父親とともにカルデアのウルを出発し、カナン地方に向かう途中でハランに住みました。そして父親のテラはハランで死んだと書かれています。その後、アブラハムは、自分の故郷を離れて神様の示された地カナンに向かいます。

 

途中のハランの地は、アブラハムの約束のカナンの土地に行くためのあらゆる意味で準備の場所、準備のときとなっています。すなわち、ハランは、アブラハムの信仰が育てられた場所であり、古い自分を手放す場所、神様が用意してくださるときを待つ場所となったのです。

 

2.相続財産

 

使徒言行録7章の4-5節に戻ります。

ステファノは、「それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子供たちに相続させる』と約束なさったのです」と語っています。

ステファノは、「今は一歩の幅の土地さえも与えられない」とかなり誇張した表現を用いています。アブラハムには、既に当時の財産と言える多くの家畜が与えられていますが、ここでは財産とは土地(不動産)だというのです。その上で、神様が後の日に、アブラハムの子孫たちに与えてくださる約束の土地こそが「カナン」であると強調しているのです。

 

ウル出身のアブラムが神様の召命をいただいて、ウルからカナンに行こうとすると、砂漠が広がっていて最短距離で一直線に向かうことは困難です。ユーフラテス川に沿ってのぼり、その経由地となるのがハランでした。そしてハランに父親が天に召されるまでとどまり、ハランの地で神様の意志に従って名前をアブラムからアブラハムに改名しました。

 

準備が整いました。いよいよハランを離れて約束の土地、カナン、現在のパレスチナに向かいます。

 

3.割礼による契約

 

ステファノは8節で、「そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。」と、神様のご意志が働いていることを語っています。ここまでがアブラハムから始まりヤコブの12人の族長物語までを語っていることを確認しています。

 

続いてステファノは、創世記17章9-14節(旧21頁)に書かれている「割礼の契約」を要約して語っています。それから一気にヤコブ、イサクとイサクの子どもたち12人の族長へと続く系図を語りますが、アブラハムの子であるイサクや、イサクの子であるヤコブの詳細については、ステファノは多くを語っていません。


「割礼」は、神様がアブラハムと結ばれた契約の外的なしるしです。神様がイスラエルの民を選ばれたことの可視的な証拠です。それは、神様の民に属することのアイデンティティと言うべき、世代を超えて継承される契約で、神様の一方的な約束に基づくものです。イスラエルの民は神様のものだということと、神様とイスラエルの民の関係性を彼らの体に刻むものとして神様が与えてくださったものであることをステファノは強調したのです。

 

4.場所にこだわる人々の習性

 

続けてステファノは、ヨセフが「場所」へのこだわりから解放された生涯を送ったことをステファノは語っています。

9節で、「この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず…」と言っています。

子供時代のこととは言え、ヨセフはやがてイスラエルの十二部族の族長となるヨセフの兄弟たちのねたみと怒りをかって、エジプトへ売られてしまいました。今流に言えば、兄弟間のねたみによる人身売買事件のようなものです。それでも、ヨセフには神様の守りと導きがありました。

 

10節でステファノは、ヨセフの生涯について神様がヨセフを「あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。」と、語っています。

そして「ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。」と、アブラハムからヨセフの父ヤコブと、イスラエルの先祖の歴史を辿って語っていきます。

 

旧約聖書で、その間のことがどのように書かれているか確認してみましょう。

創世記50章12-13節(旧92頁)に、「それから、ヤコブの息子たちは父に命じられたとおりに行った。すなわり、ヤコブの息子たちは、父のなきがらをカナンの土地に運び、マクベラの洞穴(ヘブロン)に葬った。それは、アブラハムがマムレの前にある畑とともにヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになったものである。」と書かれています。

そしてヨシュア記24章32節(旧379頁)には、「エジプトから携えてきたヨセフの骨は、その昔、(父の)ヤコブが百ケシタで、シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一画に埋葬された。それは、ヨセフの子孫の嗣業の土地となった。」と書かれています。

 

このように旧約聖書には、ヤコブのなきがらは、先祖のアブラハムがヘト人から銀400シェケルで買い取ったヘブロンのマクぺラの洞穴に葬られた。そして、ヨセフは、父のヤコブが百ケシタで買い取ったシケムの土地に葬られた。と書かれています。ステファノがここで語ったことと旧約聖書に書かれていることで、先祖が購入した土地にヤコブが葬られたということでは一致していますが、葬られた場所については、やや正確性を欠くことになります。

 

ステファノがここで重点を置いていたことは、アブラハム、イサク、ヤコブと12人の族長時代の歴史を連続してコンパクトに語る中で、後にサマリア人の総本山となるゲルジム山のふもとにあるシケムの土地をヤコブが百ケシタで買い取り、ヨセフの子孫の嗣業の土地となっていることだったのでしょう。

 

ステファノの説教に反発した最高法院の人たちは、自分たちの生計の場となっているエルサレムという土地にこだわっていました。ステファノは、彼らに対して、大切なことは土地ではないよ。神様のご意志こそが大切なのだ。と伝えたかったのでしょう。すなわち、ステファノは、自分たちの先祖であるアブラハムとヨセフは、いろいろなところに散らされたけれども、神の祝福があったではないか、それぞれの場所で神の導きと祝福があったではないか、と主張しているのです。

 

5.人の罪が善きものに変えられる

 

創世記37章28節(旧65頁)に、「ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き揚げ、銀20枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。」と実の兄たちによってエジプトに売られたヨセフの話が書かれています。

 

ヨセフは、「異邦人の手によって」異邦人の地エジプトに連れていかれたのです。

エジプトに売り渡されたヨセフは、エジプトで頭角を現し大臣の地位に就きます。後に飢饉が起こりますが、エジプトには食糧難を予測したヨセフが食料を蓄えておいたので食糧がありました。そして、ヨセフを売り渡した兄たちが、食糧を求めてヨセフのところへやって来ることになります。

 

創世記45章7-8節(旧82頁)で、ヨセフは兄たちと再会すると、「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」と、自分をおとしいれた兄たちに言っています。ヨセフ一人が兄たちの手によって犠牲になりましたが、後にイスラエルの多くの人が救われることにつながったのです。

 

ヨセフはもう兄たちを恨んでいません。ヨセフの兄たちのねたみという罪が、善いことのための出発点となっていたのです。怒りが、愛に変わりました。食糧難という苦しみの中で、滅びが救いへと変えられたのです。ヨセフ物語は、イエス・キリストが引き渡されて十字架にお架かりになったことによってすべてが変わったことと通じる出来事です。

ヨセフの姿は、イエス・キリストの姿を前もって表わすものです。それが神様のご計画なのです。ステファノはそのことを語っているのです。

 

わたしたちは人のたくらみによって、ヨセフの出会った困難と同じような問題に囲まれることがあるかも知れません。もう何年も、何十年も苦しんでいると言われる方もおられると思います。神様に自分の苦しみを訴え、主の哀れみと愛を信じてご一緒に祈りましょう。神様は、苦しみの後に祝福を必ず用意してくださっています。主を信じ続けさせてください。わたしはあなたから離れません。と祈ります。

 
 
 

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疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

(新約聖書マタイによる福音書11章28節)

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