top of page
検索

喜びと感謝をもって(使徒2:42-47) 20260222

  • 2月22日
  • 読了時間: 8分

更新日:4 日前

本稿は、日本基督教団杵築教会における2026年2月22日受難節第1主日礼拝での説教要旨です。 杵築教会伝道師 金森一雄


(聖書)エゼキエル書37節15-28節(旧約1358頁)

    使徒言行録2章42-47節(新約217頁)


【2026年3月20日玉理照子パイプオルガンコンサート配付資料】

👇下記をクリックしてご覧ください


(説教)


使徒言行録2章42節から、ペトロの説教を聴いて主イエス・キリストが自分たちの罪を赦してくださる救い主であることを信じ、バプテスマを受けてた信者の生活を始めていったことが記されています。

42節に、「彼らは、①使徒の教え、②相互の交わり、③パンを裂くこと、④祈ることに熱心であった」と、最初の教会の人々が熱心だったと書かれています。


第一は①「使徒の教え」ですが、使徒たちの語る福音、即ち主イエスの十字架と復活の証言を聞くこと、神のみ言葉を聞くことに熱心だったということです。


第二の②「相互の交わり」とは、教会に連なっている信仰者どうしの交わりが熱心に行われていたということです。教会は、使徒の教え、即ちみ言葉を聞くだけで成り立つものではなく、わたしたちは、み言葉を聞いてそのみ言葉によって兄弟姉妹との交わりへと押し出されて本当に生きる者とされ行く必要があるのです。

教会における兄弟姉妹との交わりにおいては、何を分かち合っているかが大切です。単に親しく仲の良い人がいるというのでは、「相互の交わり」に生きているということにはなりません。親しさによる交わりは、お互いが何を分かち合っているかによってその交わりの質が違って来るからです。良いものが分かち合われて、喜びが共有されているならば、それは人を生かし、支える良い交わりです。悪いもの、憎しみや敵意が分かち合われてしまうならば、それは罪を生み出す悪い交わりとなります。

ですから私たちは、教会における兄弟姉妹との交わりにおいて、それがどのような交わりになっているか、何を分かち合っているかを自己点検して振り返って見なければなりません。御言葉に従って自らを顧みながら歩んでいくことが望まれます。そのために杵築教会では、週報を用いて教会の祈祷会を覚えていただきながら日々の生活を励まし合いながら歩むことをお勧めしています。


第三と第四のことは、「③パンを裂くこと、④祈ること」です。

「パンを裂く」とは、共に食事をすることですが、それは主イエスが弟子たちとの最後の晩餐において、パンを裂き、弟子たちに渡して、「これはわたしの体である」と言われ、「わたしを記念するためこのように行いなさい」と言われた、そのパンを裂いて共に食べて祈る聖餐を指しています。教会では教会員を「陪餐会員」という特別な言い方をしています。聖餐に共にあずかっている会員、という意味で、その言葉にはわたしたちを本当に一つとする、目には見えない交わりの絆が象徴されているのです。

聖餐のパンと杯を分かち合うということは、それらが指し示している主イエス・キリストを分かち合うこと、すなわち主イエスの恵みに共にあずかり、主イエスと共に生きることなのです。


主イエスとの交わりが、兄弟姉妹との交わりの中心に据えられて、兄弟姉妹と共に生きるためには祈りが不可欠です。聖餐において主イエスの十字架の恵みを覚えて主イエスの体と血にあずかるわたしたちは、祈りにおいて、主イエスとの交わりに生きるのです。

教会は、祈りを分かち合う場でもあります。

「パンを裂き、祈る」ことを共にしていくところに、教会におけるわたしたちの交わりの中心があるのです。

 

それから、43節に、「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」と書かれています。「不思議な業としるし」の具体的な内容は、次の使徒言行録3章で足の不自由な男をいやす話として出て来ます。

今日の聖書箇所ではその具体的なことにはふれられていません。


そして44、45節には、「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」、「皆一つになって」、「すべての物を共有にし」と、信者たちが、財産や持ち物を売って教会に捧げ、「おのおのの必要に応じて」分配されたと書かれています。新しい共同体が生み出された様子が書かれています。

 

学生時代に財産共有をしてみようと言って、共同生活を始めたクリスチャンの友人がいましたが、なかなかうまくいかずにやがて解消した実話を聞かせていただいたことがあります。

聖書の中では、使徒言行録5章にアナニアとサフィラが、聖霊を欺いた出来事が書かれています。また6章には、ギリシャ語を話すやもめが分配をめぐって軽んじられていて苦情が出たと書かれています。

「財や物」は普通、分け合えば、自分の取り分は少なくなってしまいます。自分の取り分を多くしたいのならば、分け合う人の人数を少なくするか、誰とも分け合わなければよいのです。


しかし「教会の喜び」は違います。いくら分かち合っても少なくなることはありません。いや、逆に、分かち合えば分かち合うほど、もっと豊かに分かち合うことができて喜びが増していくのです。

教会をよりよく運営するために、使徒たちは、信徒の中から“霊”と知恵に満ちた評判の良い人「七人」を選出して、執事を整えたことが使徒言行録6章3節に書かれています。


詳しくは来週以降調べてまいりますが、聖書においては、これらのもめごとは、共同体の制度(政治)の失敗として否定しているのではなく、聖霊の働きの中で教会が成長していく過程として描いているのです。教会の歴史は、具体的なトラブルに直面しながら、聖霊の導きの中で教会の組織的な解決と充実を行っていったのです。

 

教会では初期のころから、信じた人々がどれだけ教会に献げるかは各自の自由でした。その自由意志が働く中で多くの者が互いに支え合い、分かち合って生きていったのです。このような愛による分かち合いの精神は、教会の兄弟姉妹の、主にある交わりの、本来的なもので、欠かすことのできない内容なのです。


46、47節には、「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」と書かれています。

 

この中で書かれている言葉で、「喜びと真心をもって」と、「民衆全体から好意を寄せられた。」ということに着目したいと思います。

わたしたちが、聖書の言葉をしっかり聞き、聖餐にあずかることを大切にして、主イエス・キリストの恵みを分かち合い、お互いの間での分かち合いと支え合いに喜びと真心をもって生きていくなら、教会は周囲の人々から、畏敬と好意を寄せられるようになるのです。


そして、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」と書かれています。

聖霊なる神はそのような群れに豊かに働き、仲間を増し加えて下さるのです。教会がこのような群れだったからこそ、新たな人々が加わってきたのです。

ここに記されている言葉の主語は、「主」です。わたしたちが自分の力で得ようとして得られる喜びではないのです。神が与えてくださる上から降り注いでくるもの、聖霊なる主からもたらされる喜びなのです。それこそが、使徒言行録の著者ルカが、「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」という意図だと思います。

 

初代教会の人々が、「一つになって」歩んでいたこと、心を一つにして生きていたこと、が強調されているのです。聖霊によって生き生きと歩む教会においてこそ、そこに連なる人々は、一つになるのです。心を一つにするのです。そこに、日々新たに人々が加えられてくるのだと言うことです。初代の教会において力強く伝道がなされていった、その秘密はこの「一つになって」ということにあります。


わたしたちが、この初代教会のような力強い伝道ができていない、日々新たな人々を迎え入れていくような生き生きとした歩みになっていない、というのであれば、それは、わたしたちが本当の意味で「一つになって」いないところに原因があると言わなければならないでしょう。一人の同じ主を信じ、同じ救いの恵みにあずかっているのに、なかなか一つになれずに、すったもんだするというのがわたしたちの現実の姿です。

そういうことでは、救われる人々が日々仲間に加えられていくことは望めないでしょう。わたしたちはこの初代教会の人々の共同体のあり方から、「一つになって」ということを学ぶ必要があるのです。


わたしたちは、この受難節の3月20日から22日にかけて、日出教会の新しい電子オルガン(ヨハネス)が奉献されたことを共に祝い、大分地区奏楽者の会の全面的なバックアップをしていただいて、玉理照子先生をお迎えしたいくつかの感謝集会をさせていただこうとしています。


3月20日(祝・金)には、杵築教会を会場として玉理照子パイプオルガン・コンサートと第6回大分地区「奏楽者の会」を開催します。

続く21日(土)には、日出教会を会場としてヨハネスによる玉理照子オルガンコンサート、22日(日)の日出教会の礼拝でも玉理照子先生に奏楽奉仕をしていただきます。


聖霊に包まれたオルガンの音色に包まれた伝道プロジェクトが主の栄光を表す主に喜ばれたものとなりますよう共にお祈りください。

主が新たに加えて下さる仲間を招いてくださいますようにと、大分地区20教会と祈りを合わせて、主あって一つになって互いに良いものを分かち合いつつ歩んでいただけますようにと祈ります。


 
 
 

コメント


《教会基本聖句》

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

(新約聖書マタイによる福音書11章28節)

ご意見などお気軽にお寄せください

メッセージが送信されました。

© 2035 トレイン・オブ・ソート Wix.comを使って作成されました

bottom of page