地の果てに至るまで(使徒1:6-11) 20260111
- 1月11日
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更新日:4 日前
本稿は、日本基督教団杵築教会における2026年1月11日の降誕節第3主日礼拝の説教要旨です。 杵築教会 伝道師 金森一雄
(聖書)
詩編19編2-15節(旧約850頁)
使徒言行録1章6-11節(新約213頁)

1. 神の定めた時
使徒言行録1章6節に、「さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。」と書かれています。それに対して、主イエスは7節で、「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。」と言われています。皆さんは、弟子たちと主イエスの間で、いかにもかみ合っていないやりとりになっているように感じられるのではないでしょうか?
イスラエルのために国を建て直すということは、旧約聖書に預言されていたメシアが現れる時に実現すると期待されていた救いです。
ユダヤ人たちは長いこと国を失い、あるいは外国の支配下にあって真の独立をしているとは言えない状態に置かれてきました。
そうした状況の中で、イスラエルの人々は、救い主の出現によって自分たちの国をメシアの王国として確立するという願いをずっと待ち望んでいたのです。
ですから、弟子たちが主イエスの復活を体験して、主イエスが現にこうして生きておられることを知ると、今こそ自分たちの待望していた救いが実現するのではないかと思っても無理のないことです。
聖霊によって力が与えられ、主イエスを中心とした弟子たちの群れがイスラエルのために国を建て直す働きを開始する時となるのではないか、そして、死に勝利して復活された主イエスこそがまことのメシアで、この主イエスならイスラエルの国を再興することがお出来になる、と考えたのです。
ところが主イエスは、弟子たちがイスラエルのための国の再興がもう間もなく実現すると期待を抱いていたことに水を差すような答えをされたのです。弟子たちは、イスラエルのための国の再興という救いがもう間近に迫っている、ということを前提に歩むべきではないし、そもそもそのようなことを弟子たちが考えること自体がおこがましいと言わんばかりです。



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