手引きしてくれる人(使徒8:26-40) 20260712
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更新日:11 時間前
(聖書)
イザヤ書56章3~7節
使徒言行録8章 26~40節
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本稿は、日本基督教団杵築教会における2026年7月12日の聖霊降臨節第8主日礼拝説教要旨です。
杵築教会伝道師 金森一雄
1.寂しい道へ
かつては、マタイによる福音書10章5-6節で、主イエスが福音宣教に12人の使徒を選んで派遣されるときに「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。」と、宣教の優先順位を示しておられました。
ところが使徒言行録8章26節においては、「さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。」と、書かれています。
「ここ」とは、サマリア人の町です。主の天使は、先ずはサマリアをたって出発することを命じると、ここではさらに出発後の道ゆきまで命じています。
ステファノの迫害からエルサレム教会の大迫害が始まっていたときです。ギリシャ語を話す信徒が迫害によって散らされ、伝道者フィリポは、サマリアに逃れてサマリアにおいて伝道の実りが与えられていました。
そしてエルサレム教会からも、使徒ペトロとヨハネが遣わされたことによって、サマリアの町の多くの人がこぞって洗礼を受けイエス・キリストを信じる者になりました。新しい時代が幕開けしています。
神様が遣わす者へのしばしば用いられる導き方は、先ずはわたしたちの従順さを確認するために行き先を示さずに旅立ちを促されます。ところがここでは天使を用いて、次に向かう道ゆきまで告げられているのです。
27節には、「フィリポはすぐ出かけて行った。」と書かれています。そしてフィリポは、これから神様の導きに従い、結果として、大きな働きをしていくことになります。
このようにフィリポが、「ガザへ下る道」で、エチオピアの宦官と出会うことが、主によって用意されていました。そして28節には、(エチオピアの宦官がエルサレムに礼拝に来て)「帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。」と書かれています。アフリカの異邦人であっても、主を求める人には、神様は目的地を示すだけでなく、その途中の道筋や出会いの場所、さらには読むべき聖書の箇所まで、用意してくださっていることを知ることができます。
29節には、「“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。と書かれています。そして、30節に、「フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか。」と言ったと書かれています。そして、35節には、「フィリポは口を開き、聖書のこの箇所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた」と、一対一の伝道が行われたことが書かれています。
さらには36節に、「道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。」と書かれていて、宦官が、「ここに水があります。洗礼(バプテスマ)を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」と言っています。
37節は、✝の記号があって、書かれていません。異本には、37節には、宦官が「イエス・キリストは神の子であると信じます。」と答えたと注記されています。宦官は福音を受け入れ、信仰告白して、38節に、洗礼を受けたと書かれているのです。
フィリポの宣教の働きは、福音を伝えて知識を増やすためだけでなく、人を信仰へ導くために語られていることが分かります。フィリポは、聖書に基づいて語ること、聖書からイエスを示すこと、福音を聞く人のニーズに合わせて個人的に伝えるという、福音宣教の模範を示しています。そしてエチオピアの宦官は、それに応答する者として主が選ばれたということが書かれているのです。
フィリポの働きによって当時ユダヤ人が忌み嫌っていたサマリアで、大きな伝道の実りを見ました。エルサレムにもそのことが伝わり、十二使徒のペトロとヨハネが遣わされていました。
サマリアでそのような宣教の実りが得られたとすれば、人間的に考えれば、その町に留まりたくなるものです。しかし神様は、フィリポに実り豊かな働きの場から、人気のない荒野の道へ行くよう命じられたのです。
その先でフィリポが出会ったのは、アフリカへ帰る途中のエチオピアの高官でした。このフィリポとエチオピアの高官との出会いが、福音がユダヤ・サマリアを越えてさらに遠方、アフリカまで広がる象徴的な出来事となりました。神様の計画の中で、福音が新しい地域へ広がる幕開けとなるものだったのです。
今日の聖書箇所に書かれている宣教の方法は、先に成功したサマリアの町の伝道の仕方とはまるで違う方法です。大きな町の大勢の人に向かって行ったのではありません。フィリポはエチオピアの宦官という一人の人物へと向かって行きました。
たった一人の人がその対象でした。そしてこの出会いは、神様の導きなくしては起こらなかった出来事です。この話がわたしたちに伝えていることは、一人の人の魂に向かって行くことの大切さです。一対一の伝道の原点が語られているのです。
2.預言者イザヤの書
フィリポが出会った人は、エチオピアの宦官でした。当時のエチオピアという国は、エジプトからナイル川を上流の方に遡って行く、今のスーダンだったようです。ナイル川の河口付近の地中海に面した大きな町アレクサンドリアという町に、大きなユダヤ人コミュニティーがありました。エジプトにも多くのユダヤ人が住んでいましたが、エチオピアにもユダヤ人がいたのでしょう。
フィリポが出会って伝道したこの宦官は、エルサレムでの礼拝に出席し、エチオピアに帰る途中だったのです。そしてフィリポから信仰の話を聞き、神様を求める者に変えられたのです。
先ほど司式者が読んでくださったイザヤ書の56章4-5節には、「なぜなら、主はこう言われる。宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。」と書かれています。6-7a節には、「主のもとに集って来た異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。」と書かれています。
ここには、異邦人である宦官という言葉も出てきます。
このエチオピアの高官は、自分もまた救いのうちに入れられると希望を抱いてイザヤ書を読んでいたのでしょう。
32節には、この宦官が朗読していたのは、イザヤ書53章の聖書箇所だったことが書かれています。主の僕の歌です。主の僕という一人の人物が民の罪を背負って命を取られる。その代わりに民の罪が赦されて救われるという歌です。
34節で、「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。」と、宦官はフィリポに聞いています。彼の疑問は、ここに出てくる「彼」のことです。
「羊のように屠り場に引かれていった。」、「子羊のように、口を開かない。」、「彼の命は地上から取り去られるからだ。」という彼とは、いったい誰なのか、ということです。
エチオピアの高官は、この聖書の言葉の意味は何かと漠然と聞いているのではなく、「彼」とは誰かと尋ねているのです。
3.神様の導き
今日の聖書箇所では、一貫して神様の導きによって物事が進んでいることが書かれています。
最初の26節、「さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。」とあります。行き先を告げたのは「主の天使」です。
29節には、「すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。」と書かれていて、フィリポと馬車の中にいた宦官との出会いが主によって備えられたことが分かります。
フィリポはまず馬車へと近づいて行った。そうすると、30節に、「預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえた」と書かれています。そして宦官に、「読んでいることがお分かりになりますか。」と尋ねています。「宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。」と書かれています。ここの「手引きをする」という言葉は、「道案内をする」と言う意味です。
フィリポは、エチオピアの宦官が求めている道が、信仰の道であることを知っていました。35節に、「そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。」と書かれています。フィリポは、イザヤ書に書かれている「彼」こそがイエス・キリストであり、イエス・キリストこそがあなたの求めている道であり、真理であり、命であると語ったのでしょう。
36節に、「道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」」と言っています。
フィリポが、イエス・キリストの福音を告げ知らせている中で、あなたも洗礼を受けることによって、イエス・キリストと結ばれて、罪を赦していただき、救われる道があると語ったのでしょう。宦官から洗礼を受けたいと言ったのです。
使徒言行録には、大勢いの人がこぞって洗礼を受けた、町の人々が信じた、という話も記されていますが、ところどころに、たった一人の人のために、出会いが備えられ、導かれて洗礼を受けたという話も記されています。
今日の話も、そのような話です。39節に、「彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。」と書かれています。宦官は洗礼を受けました。
4.フィリポの生涯の実
40節に「フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。」と書かれています。
ガザも地中海岸南の海沿いですが、アゾトは北方の海沿いにある町です。カイサリアは、さらに北方の海沿いです。フィリポは地中海岸沿いに南から北へとたった一人での寂しい道での宣教旅行が続いたことが書かれています。
その後、フィリポの名前が出てくるのは約20年後です。パウロの第三次伝道旅行の終わりの記事の使徒言行録21章8節に、「翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。」と書かれていて、フィリポの家庭をパウロが訪ねたことが書かれています。
フィリポは、その後カイサリアで家庭を築き四人の娘が神様に仕えています。その家庭を,パウロは(第二回)宣教旅行の帰り道で訪ねているのです。
改めてフィリポの生涯を振り返ってみますと、エルサレム教会でステファノと共に選ばれた「評判の良い七人」の執事として聖書に登場しています(使徒6:5)。エルサレム教会に対する大迫害の中で、サマリアに主イエスの福音を伝え(使徒8:1)、エルサレム教会から使徒のペトロとヨハネが派遣されるまでに至りました(使徒8:14)。その後、天使に導かれて「寂しい道」を通され(使徒8:26)、一対一の伝道によって、エチオピアの宦官に洗礼を授けアフリカ伝道のきっかけを与えました(使徒8:39)。その後カイサリアに行き(使徒8:40)、家庭を築き家族ぐるみで生涯にわたって福音宣教に仕え続けた人でした(使徒21:8)。
神様は、すべてのことを働かせて益としてくださったのです。



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