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起きなさい(使徒9:32-43) 20260802

  • 8月2日
  • 読了時間: 8分

更新日:1 日前

(聖書)

イザヤ43章1-4節(旧1130頁)

使徒言行録9章32-43節(新231頁)


 👇2026年8月2日の週報は下記をクリックしてください


本稿は、日本基督教団杵築教会における2026年8月2日の平和聖日聖霊降臨節第11主日礼拝の説教要旨です。杵築教会 伝道師金森一雄


1.回心後のパウロ

 

使徒言行録9章32節からは、十二使徒のペトロの働きが書かれています。

ルカは、その前の31節で、エルサレム教会に対する迫害が終わり、基礎が固まって発展し全地方で平和を保ち、教会が主を畏れ、聖霊の慰めを受けて、増えていったと書いています。

その中で、殉教したステファノとサマリアからシャロン平野から地中海沿岸に遣わされたフィリポの二人は、共にギリシャ語名の信徒の代表格で、主の選びの器として描かれています。

そして彼ら信徒の伝道の実を確認するために、十二使徒のペトロとヨハネがエルサレム教会から派遣されて登場しているのです。

その一方で、エルサレム教会の迫害者たちの一人として、ヘブライ語名のサウロ(ギリシャ語名のペトロ)を登場させています。

 

32節に、「ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。」と書かれています。

「方々を巡り歩き」と言う言葉が、ペトロが使徒として既に存在する教会を確認し、励ます働きをしていたことを伝えています。ペトロは、新しい伝道地を開拓しているのではなく、広域巡回牧会をする使徒として、聖なる者(信徒)たちの魂の配慮をする問安をしているのです。


巻末の聖書「地図6新約時代のパレスチナ」をご参照ください。

エルサレムの西北40kmにリダという町があります。さらに西側20㎞の地中海沿岸にはヤッファという港町があり、異邦人世界への玄関として交通の要衝となっていました。 


33節に、中風で8年前から床についていたアイネアがいやされたことが書かれています。アイネヤと言う名前の意味はギリシャ語で「称賛される者」と言う意味です。

35節にシャロンと書かれています。ヘブライ語のシャロンは町の名前ではなく、カルメル山から地中海沿岸のヤッファに続く肥沃地域を指し示す平野の名前です。


続いて36節で、ヤッファのタビタの復活の出来事が書かれています。「かもしか」と呼ばれていた婦人で「たくさんの善い行いや施しをしていた。」弟子でした。

38-39節に、「リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。」と書かれています。

リダからヤッファまでは、「近かった」と書かれていますが、20㎞程度の距離です。ルカは、リダのアイネヤのいやしの出来事とヤッファでのよみがえりの出来事を一連の出来事として書いているのです。

 

32節で「聖なる者たち」と、38節で「弟子たち」とは、ともに教会のキリスト者のことです。フィリポが先にこの地域で開拓伝道をして建てた教会にキリスト者となった人々が集っていました。「聖なる者たち」、「弟子たち」といわれる関係になっていた教会を使徒のペトロが、相手の健康や安否を気遣って様子を尋ねることを意味する「問安」をしているのです。キリスト者たちは、そうやって病や死の壁に立ち向かっていたのです。フィリポの伝道によって、教会の歩みが始まり、牧会が必要になっていたのでしょう。


 

2.アイネヤとタビタ

 

今日の聖書箇所で「問安」される人は、アイネアとタビタです。

最初に出てくるのはアイネアで、ギリシア語を話すユダヤ人です。アイネアという名前には、讃美という意味があります。そのアイネアが、「中風で8年前から床についていた」と紹介されています。

ずっと生きてきて、ある時に中風になり8年が経過したのか、生まれてこのかたずっと体を動かすことができずに、現在8歳なのかは分かりません。体にマヒがあり、自由がきかないのです。

34節に、「ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。」と書かれています。

 

二番目に出てくるのは、アラム語名のタビタです。36節に、「ヤッファにタビタ―訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」―と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。」と書かれていますから、明らかに女性です。

39節に、「やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた」と書かれています。タビタはニックネームが、かもしかですから、飛び跳ねるように速く走りながら、やもめの世話に奔走する手先の器用な女性だったのでしょう。

 

アイネアは病と闘っていました。そして34節でペトロに、「イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい」と言われました。タビタは奉仕に生き、病と闘い、そして死の時を迎えていました。40節で、「ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。」と書かれています。



3.主イエスの力が教会で働く

 

ここでは、アイネアとタビタという教会の中に生きていた男女二人のいやしと復活の証しの出来事が書かれています。本日の聖書箇所でペトロがしたことは、主イエスがされていたこととほぼ同じようなことです。現代の教会においても、同じような姿、同じような闘いを見出すことができるのではないでしょうか。


アイネアの癒しに関しては、マルコによる福音書の2章(新63頁)で、主イエスが中風の人を癒した話と同じです。四人の男が中風の人を担架に乗せて運んできます。しかし家の中におられる主イエスの周りには人が集まり、近づくことができません。

この四人の人は屋根に上り、屋根をはがして中風の人をつり降ろしました。主イエスはこの人たちの屋根をはがしてまで、病人を主イエスのもとに連れて来る信仰をご覧になり中風の人を癒されました。今日のペトロの話では、屋根をはがすようなことはありませんが、ペトロの問安を受け入れて中風の癒しをしたという点では主イエスと同じです。

 

タビタに関しては、マルコによる福音書の5章22節(新70頁)で、会堂長であったヤイロという人の娘を生き返らせる話と同じです。ヤイロの娘が死にそうでしたので、ヤイロ自らイエスを訪問して自分の家にイエスをお招きします。ところがその最中に娘は死んでしまう。それでも主イエスは向かいました。そしてごく少数の者しか、娘の遺体のある部屋に入れなかった。そして生き返らせたという点で共通点がある話です。

特に、生き返らせる時にかけた言葉に主イエスと使徒ペトロの共通点があります。主イエスはヤイロの娘に、「タリタ、クム」(マルコ5:41)と言われました。これは、主イエスが日常使われていたアラム語で、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味です。

ペトロはどうでしょうか。

40節で、「タビタ、起きなさい」と言っています。これをアラム語にすると、「タビタ、クム」です。41節の「立たせた」も「起き上がる」、「立ち上がる」、「甦る」、「復活する」これらはいずれもギリシャ語では、アネステイミーという言葉です。同じ意味です。34節でペトロが、「イエス・キリストがいやしてくださる」と言った通り、主イエスの力が働いたのです。

 

4.復活する

 

現実的には、わたしたちは死や病の闘いに倒れてきています。

死や病の前に発言権を失い、教会の者たちも沈黙をしてきました。しかし、教会では、イエス・キリストの御業が、主イエスが天に上げられた後も、教会で起こり続けています。死や病は乗り越えられている、死や病は最終的には沈黙しなければならないと信じられているのです。


アイネアもタビタも、起き上がりました。35節に、「リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。」、42節に、「このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。」と書かれています。

アイネアとタビタに続くように、続々と、信仰において「起き上がる」者たちが出たのです。聖書に書かれている主なる神を知っていた人たちが、主イエス・キリストを通じて父なる神を知るようになったのです。

 

ここで、アイネアとタビタという二人の人物が登場しますが、タビタはギリシャ語でドルカスだと説明されています。一方で、ペトロは、アラム語のケファではなくギリシャ語の十二使徒のペトロとして登場しています。

ルカは、このようにギリシャ語とアラム語の人名をを交差させながら、ギリシャ語を話すユダヤ人とアラム語を話すユダヤ人の溝が、伝道によって埋められていったことを表しているのです。

 

教会は「起き上がった者たち」の集うところです。病や死の闘いがあり、その現実に苦しみながらも、これらが神によって乗り越えられたことを信じるのが、教会のキリスト者たちの信仰です。先般行われた納骨式に集った方々も、主イエスによる復活信仰のもとに、一つになって望みをもって礼拝をしました。

 

病人を囲みながら教会生活が営まれ、時には死者を痛んで涙します。しかし主イエスによって病や死が乗り越えられたことを信じ、病や死と闘っていきます。そして主イエスの御業に驚き、讃美していく。それが教会です。

 

病や死の壁は、主イエス・キリストによって乗り越えられました。もうすでにその壁には大きなひびが入っています。光がひびの割れ目から射しこんでいます。そして壁の向こうから、主イエスの御声が聴こえてきます。

 

ペトロを通して、イエス・キリストがギリシャ語名のアイネアとアラム語名のタビタの名前でそれぞれ呼んでくださったように、わたしたちの名前を主イエス・キリストが、起きなさい、立ちなさい、復活しなさい、とあなたの名を呼んでくださいます。

その声は、病や死の向こう側から主イエスがわたしたちに呼びかける声です。わたしたちを招いてくださる主イエスの声に、応えることができますようにと祈ります。

 
 
 

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《教会基本聖句》

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

(新約聖書マタイによる福音書11章28節)

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